税制研究47号(2005年1月)に掲載された「納税者番号制度の問題」の論稿を紹介します。

             政府税制調査会答申と納税者番号制度の問題

                                            長谷川 博
1.はじめに(問題の所在)

 政府税制調査会(以下「税調」という。)は、本年(2004年)11月25日に「平成17年度の税制改正に関する答申」(注1)を出したが、いわゆる納税者番号制度の導入時期について明記していない。
 これより先、税調の金融小委員会は、本年6月15日に「金融所得課税の一体化についての基本的考え方」(注2)の中で納税者番号制度の必要性について公表している。それは、利子・配当・株式譲渡等の金融所得課税について、申告分離課税に一元化し、上場株式等の譲渡損益の相殺・損益通算を認めることにより所得税額が圧縮でき、株式などリスク資産への投資促進が期待できる。そのためには、課税庁が損益通算の申告をチェックする場合に納税者番号によるマッチングが必要であると理由付けしている。この場合、納税者番号といわずに「金融番号」として論ずる場合もあるが、納税者番号制度であることは間違いない。
 しかし、税調答申では、「答申に盛り込まれていない主な意見」の中で、次のような意見を提示している。
(金融所得課税)
イ 金融所得課税の一体化については、投資家及び実務家双方の視点に立って、その仕組みをなるべく簡素なものとすることが重要。
ロ 金融所得課税の一体化に向けての具体的なスケジュールを明示することが必要ではないか。
ハ 金融所得課税の一体化は、税調が今まで目指してきた全ての所得の総合課税化という方向に反するのではないか。
二 金融所得課税の一体化は、現在区々となっている課税を一本化しようとするものであり、総合課税に向かっての一歩と見ることもできるが、金融所得については、資本の海外逃避という問題もあり、総合課税を行うことは難しい。
ホ 金融所得まで含めた包括所得は、年によって大きく変動すること、また、支出税的な観点からは、そもそも利子などの金融収益に課税すると一生の間では二重課税になっていることから、金融所得は非課税にすべきと考えられることを踏まえると、総合課税が望ましいとは言えない。
へ いわゆる金融番号制度については、付番時の本人確認や住所等異動の把握を簡便・確実に実施することが可能な住民基本台帳ネットワークシステムとの連携を図るなど、効率的な制度設計を検討すべき。
ト いわゆる金融番号のために税務当局が新しい番号を付番することは無駄であり、住民基本台帳の住民票コードを利用すべき。
チ 金融番号に住民票コードを採用することを提案した場合には、金融所得課税の一体化自体が実現困難となりかねない。したがって、金融番号に住民票コードを採用すべきではない。
リ すべての所得を総合課税とするためにも納税者番号制度は必要であり、住民票コードを利用すべき。

 税調が納税者番号制度の導入を検討していることは、これまでの税調答申の経緯を見ても理解できるが(注3)、今回その導入時期を見送ったのは「金融機関のシステム開発に時間が必要」というのが理由とされている(注4)。
 しかし、答申を受けた小泉首相は、税調の石弘光会長に対し、納税者番号制度について「何ができ、何ができないのか、問題点を整理してほしい」と、政府税調で検討するよう指示している。首相が指示した納税者番号制度は、金融所得課税の損益相殺のために導入する金融番号とは異なり、公的年金の一元化に向け、国民全員に付与するというものである。これは、民主党が公的年金の一元化に向けて納税者番号制度の導入を求めたことを踏まえ、政府として改めて課題を整理する必要があると判断したと見られている。
 このように、納税者番号制度の問題は、金融所得の損益通算課税の必要性という議論から公的年金の一元化のための所得把握の必要性という議論へと移行しており、その中心の論点が、サラリーマン等の給与所得者と自営業や農業の事業所得者等との所得把握の格差問題(クロヨン:9・6・4)(注5)を解消するための課税強化策に移されようとしている。これまで納税者番号制度をめぐって議論されてきた税務行政の合理化・管理化と国民のプライバシー権利保護の問題という視点を超えて、所得各層の所得把握の不公平感の対立を煽った議論へと発展する危険性すら感じられる。
 さらには、昨年(2003年)、益税問題(注6)を解消するため、簡易課税制度や免税事業者を縮小する消費税法の改正をしたが、これだけでは納まらず今後は、事業者の所得把握のため、事業者番号制度を導入したインボイス方式を採用し、事業者の収入(売上げ)まで税務管理しようとする動きもあり、消費税課税強化として納税者番号制度の問題も関係していることを注視しなければならない。
 本稿では、これまでの税調答申を参考にするとともに、納税者番号制度に対する政府の関係機関、民間団体、および政党の意見も紹介し、さらに、諸外国の例も概観しながら納税者番号制度の問題を考察することにする。

2.納税者番号制度に関する主な機関・団体等の意見

(1)金融審議会
 首相の諮問機関である金融審議会は本年10月13日、金融税制に関する研究会(座長・堀内昭義中央大教授)を開き、金融取引に伴う個人所得を一体で課税する税制改革を巡って意見交換した。改正論議にあたっては、株式の配当や譲渡益、株式投資信託の売買益への課税を20%から10%の税率に軽減している現行の優遇税制の延長を優先して求めるべきだ、との意見で一致した。
 金融所得の一体課税は株式や預貯金、公社債など個人の金融取引で生じる損益を相殺して納税額を減らせる制度。「貯蓄から投資へ」という流れを促す狙いがあるが、会合では「先物など高リスク商品の取引を促す面があるほか、納税者番号制度の地ならしにする方向も透けて見える」など、慎重論も出た。
 優遇税制は2007―08年の時限措置。金融庁は来年度の税制改正要望で2012年度末までの延長を求めており、「金融界でも10%の優遇措置は定着している」などと評価する意見が大勢を占めた(2004年10月14日日経新聞)。

(2)社会保障の在り方に関する懇談会
 政府の「社会保障の在り方に関する懇談会」は本年12月8日、これまでの議論を取りまとめた論点整理を発表した。年金の一元化について、当初案は「将来的には望ましい姿」としたが、「選択肢の一つ」と表現が後退した。具体化する際の課題として、所得を把握する手段としての納税者番号制度導入などで賛否が分かれ、まず前提となる課題の解決に向けた検討を行うべきだとの意見が出て、変更した。
 表現が後退した最大の理由である納税者番号制導入について、論点整理は、賛成意見のほか「自営業者の所得把握に納税者番号制度は明らかに限界があるとの意見があった」とし、一元化へのハードルの高さがあらためて示された(2004年12月8日共同通信社)。

(3)民主党
 1998年の基本政策では、次のように消費税課税のインボイス制とともに納税者番号制度の導入を求めている。
「『簡素・公平・透明』を原則としながら、税体系における所得・消費・資産等のバランスのあり方と、税と社会保険料の役割分担について見直す。インボイス制導入など納税者に信頼されるよう消費税改革を進めるとともに、納税者番号制を導入する。納税者意識を高めるためにも給与所得者の確定申告制度をさらに進める。法人税制は国際水準を意識しながら改革する。」
また、2004年の政策では、公的年金の一元化を目指し、次のように納税者番号制度を導入し、社会保険庁を廃止して国税庁と統合した「歳入庁」を構想している。
「公的年金制度を一元化し、全国民が加入する所得比例年金を創設するにあたり、所得捕捉を公平に行い、かつ的確な年金給付を担保するために、税及び年金保険料徴収と年金給付に共通の付番制度を導入します。併せて国税庁と社会保険庁を統合し、歳入庁(仮称)を創設します。」

(4)(社)日本経済団体連合会
 本年9月21日、社会保障制度等の一体的改革に向けてと題し、社会保障・福祉制度に共通する個人番号の導入について公表している。
「これは、社会保障制度の適用面・負担面での不公正をなくすことを目的の一つとするものである。例えば国保に加入、保険料を納付しているのに、国民年金には加入していないといった不公正をチェックするためのものである。
当面、基礎年金番号を拡充、活用することが現実的と考えられるが、そのためにも基礎年金番号の重複付与という現状を早急に解消することが求められる。また住民基本台帳ネットワークにおける住民票コードとの連携を視野に入れる必要もあろう(生存・死亡情報の突合)。さらに国税庁と社会保険庁の機能統合を進め、将来的には納税者番号での活用も検討し、負担面での公正さを高めていくことを目指すべきである。なお、この公正性を実現するためには番号制だけでなく、消費税におけるインボイス方式の導入も必要である。」

(5)日本税理士会連合会
 本年6月29日、「平成17年度・税制改正に関する建議書」の中で次のように建議している。
「納税者番号制度の検討に当たっては、税務に関する個人情報を十分に保護する制度を構築したうえで、国民全体にかかわる制度であるとの認識のもと、具体的構想を提示し国民の理解を求めること。
【理 由】
 納税者番号制度は、課税漏れのない適正な所得課税や資産課税の実現に寄与するとともに、その牽制効果は間接的に申告水準の向上をもたらすと考えられる。また、適正な課税と申告水準の向上は国民全体の利益であるとの見方もある。
 さらに最近では、その導入につき議論されている金融所得課税の一体化の観点から、納税者番号制度は、金融所得の正確な把握を行い適正な課税を担保するために必要であるとされている。
 しかし、納税者番号制度が導入された場合には、他人に知られたくない個人情報も効率的に収集され、さらに納税者番号の民間利用を認めると民間でのデータバンクの構築も可能となり、その結果、情報が濫用されるおそれが生じる。したがって、納税者番号制度の導入に当たっては、情報保護制度をどのように構築するかが極めて重要な問題となる。現行の行政機関個人情報保護法では、相当な理由がある場合には個人情報の目的外利用の禁止が解除される場合もあり、また、税務に関する情報で一定のものは不開示情報とされている。少なくとも納税者番号により収集された税務情報は開示対象とし、本人による情報アクセスと情報訂正請求を認め、税務目的以外への利用は禁止しておくべきである。
 また、制度導入に当たっては、制度の仕組み、付番方式、付番機関など具体的な内容を示したうえで、導入や維持に要する行政におけるコスト及び民間が負担するコストを試算し、費用対効果の面からも検討する必要がある。
なお、納税者番号制度は適正な課税を目的とするものであるとの観点からは、希望者だけが番号を利用する納税者選択制は導入すべきではない。
 納税者番号制度は国民全体にかかわる制度であり、納税者にとっても利便性のあるものでなければならない。金融所得課税導入だけのための議論ではなく、その将来像を見据えたうえで国民に一層の理解を求めていく必要がある。」

3.納税者番号制度の問題点

(1)番号の付与方式について
 2000年(平成12年)7月の「わが国税制の現状と課題−21世紀に向けた国民の参加と選択−」中間答申では、納税者番号制度をめぐる主な論点として、納税者番号制度の導入時のコスト問題とプライバシー保護の問題の2点のみを挙げている。
 かつて論点の一つであった番号の付与方式の問題については、1999年(平成11年)12月の答申では、同年8月に成立した「住民基本台帳法の一部を改正する法律」の施行状況も踏まえ、必要とされる付番のあり方等について引き続き検討を進めていく必要があるとし、さらに、平成12年7月の中間答申では、今後の検討の方向として、全国一連の番号の整備をはじめとした諸状況の進展を踏まえながら、その導入について検討を進めていく必要があるとしている。
 最近の税調等の議論では、2002年(平成14年)8月5日から施行された住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)(注7)を利用することよりも、個人や法人等のすべての納税者に対し課税庁が付番する方式(後記、オーストラリア方式)が有力視されている(注8)。
 これは、近年、国税庁が国税総合管理(KSK)システム(注9)の開発を行い1995年(平成7年)1月から順次導入局署を拡大し、2001年(平成13年)11月に全国への導入を完了したこと。また、財務省が2003年(平成15年)度から所得税や消費税などの申告をインターネットでできるようにする(電子申告制度)など行政手続の電子化が図られたこと。さたに、2002年(平成14年)12月に成立した「行政手続等における情報通信の技術の利用に関する法律(行政手続オンライン化法)」では、行政手続(約52,000手続)について、書面によることに加えオンラインでも可能とされるようになった(注10)こと、などからも裏付けられる。

(2)納税者番号制度の導入コスト問題
 かつて税調は、納税者番号制度導入のコストを試算したことがあるが(注11)、最近は数値的な試算をしていない。
財政改革や不良債権問題の中、納税者番号制度導入のコストとランニングコストには多額の予算が必要になるとともに、納税者番号制度に対応する金融機関のシステムやセキュリティ確保にも大きな費用がかかることが予想される。  このような膨大なコストに見合う効果が期待できるかどうか、導入コストを算出して国民の議論の対象にされなければならない。

(3)納税者のプライバシー保護の問題
 近時の行政内部の情報漏洩事件だけを見ても、防衛庁の秘密データ漏洩、入札予定価額の漏洩、犯罪歴の漏洩、試験問題の漏洩、病歴の漏洩など情報の流出が数多く発生している。これは、公務員の守秘義務だけでは個人情報は保護されないことを物語っている。
 現在は税務署管内の個人・法人に番号を付けて(「整理番号」といわれる)管理しているが、納税者番号制度が導入されると、個人の税務に関する情報が課税庁に収集され、その利用に際し個人のプライバシーが流出・侵害される恐れが生ずる(注11)。とくに問題となるのは、税務目的で収集された納税者の情報が他の行政機関や金融機関等で転用する場合の危険性についてである。
 年金制度の一元化に際し関係行政機関でも納税者の個人情報を利用できることになれば、たとえ利用方法の規制措置を講じたとしても、納税者の個人情報に対するプライバシー流出・侵害の危険性は残る。
 また、納税者番号が銀行等金融機関で利用されると、民間部門でもこれを利用したデータベースが構築されて行くことになって、個人情報の商品化(プライバシーの商品化)による納税者のプライバシー権利の侵害など大きな社会問題すら生じかねない。
 なお、プライバシー保護の問題については、個人情報保護法との関係から後記(5)でも考察する。

(4)諸外国にみる本人確認システムとプライバシー権利保護(注13)
@オーストラリアの納税者番号制度
 オーストラリアでは、プライバシーの保護を重視し、多目的に使う共通番号(国民背番号制度)の導入を放棄した。特定の行政目的に限定して利用する限定番号として、1988年の改正税法に基づき納税者番号(Tax File Number=TFN)制度を導入しているが、カードは存在していない。 ただし、納税者番号の取得は任意とされるが、利用しない納税者は不利に扱われる。
 民間機関には原則としてデータ提供を行わないものとされており、税法等に基づく権限を有する民間機関以外の者がTFNの提示を要求することやTFNを利用することは禁止されている。さらに、これらの禁止に対する罰則が規定されている。苦情処理機関としては、独立した税務オンブズマン制度やプライバシーコミッショナー制度が設置されている。
 なお、オーストラリアには、納税者の権利を保護するための「納税者の権利憲章」が1997年に国税庁により制定されている。
Aアメリカ、カナダの社会保障番号制度
 アメリカの社会保障番号(SSN)やカナダの社会保障番号(SIN)は、社会保障分野だけではなく、税務、選挙人登録、運転免許証、各種の助成金交付事務等幅広い行政分野で共通番号として利用されている。カードは、SSNは紙製、SINはプラスティック製となっている。
 アメリカのSSNは、1937年から実施されたが、SSNの乱用やプライバシー侵害が社会問題化している。
 民間機関へのデータ提供については、原則として本人の同意が必要であり、SSNの不正利用には罰則が規定されている。一方、民間機関がSSNの提示を求めること及びSSNを基にデータベースを構築すること等については特に規制されていない。
 アメリカでは1988年に、行政機関のデータマッチングの危険性に鑑み、コンピュータマッチング・プライバシー保護法が制定されたが、国民データバンクの創設の危険性が指摘されている。近時では、数十人の国税職員による数万件の不正覗き見事件が起き、これを規制する法律ができたが、SSNの乱用やプライバシー侵害の規制には限界があるという指摘がなされている。
 カナダでは、苦情処理機関として、プライバシーコミッショナー制度が設けられている。
 なお、アメリカやカナダでは、納税者の権利を保護するための「納税者の権利宣言」が規定されている。
Bスウェーデンの住民登録番号
 スウェーデンでは、共通番号として住民登録番号(Personal Identity Number=PIN)が1946年から導入され、1968年からコンピュータ化されたが、カードは存在していない。1991年からこの付番制度の所管は、税務当局へ移っている。
 スウェーデン、デンマーク等の北欧諸国、フランス、韓国、シンガポール等においては、住民登録制度等を基礎として本人確認制度を構築し、この番号を他の行政分野で活用する方式が採用されている。
 スウェーデンでは、外部へのデータ提供を目的としたスウェーデン人口住所ファイルを管理する機関(SPAR)が設けられており、SPARから民間機関等に対しても比較的緩やかにデータ提供が行われている。また、PINの提示を求めることについては特段の規制が行われていないが、PINを基に民間機関がデータベースを構築することについては、公的機関と同様の一定の手続等に係る規制が行われている。また、データの不正利用や違法なファイル設置について罰則やファイル没収等が規定されている。データの提供や利用についてはデータ検査院が監督している。
SPARのファイル情報には、氏名、住所、管理教区、本籍地、出生地、国籍、婚姻関係、認知関係、所得税、本人及び家族の所得、課税対象資産、居住用不動産、建物の類型、不動産の評価額などが記録されている。
 スウェーデンの場合、政府による個人情報の管理に対する国民の不安が比較的少ないという理由には、国民が政府を信用し、信用できなければ政府を変えることが容易にできる国情があるという指摘がある。
 C韓国
 韓国では、前述した日本のKSK(国税総合管理システム)と似ているTISシステム(国税統合電算システム)を導入しており、口座残高や源泉税に係る金融取引情報、クレジットカードの利用履歴、会員権や不動産の保有状況などかなりのデータが集積され、税務申告内容とマッチング(照合)している。
 また、自然人には住民登録番号(ID番号)を利用した経済取引が行われ、さらに、法人および個人事業者には課税庁から付与された事業者登録番号により経済取引が行われている。
 なお、納税者番号制度に対する納税者のプライバシー保護や権利救済に関する固有の制度は有していないが、1997年に国税基本法の中に「納税者の権利憲章」を含む納税者の権利保護制度が規定されている。
Dドイツ等
 ドイツでは、かつて背番号コード導入が問題となったが、憲法裁判所は、「個人を全人格的に管理することにつながる住民基本台帳番号制は人格権を侵害し憲法違反である」と判断したため、導入を撤回している。
 イギリスでは、国民の反対により、ブレア首相がスマートカード(国民総背番号制・国民皆登録証携帯制)を撤回している。

(5)個人情報保護法との関係

@「個人情報保護に関する法律」(個人情報保護法)が、2003年(平成15年)5月23日に成立し、2005年(平成17年)4月1日より施行される。これまでわが国では、個人情報保護に関する法律として1988年(昭和63年)制定の「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」(行政機関個人情報保護法)が存するだけであった。行政機関個人情報保護法は、対象となる情報が行政機関の電算機処理をした情報に限定されるなど個人の情報保護法としては不十分なものであった。
 個人情報保護法の成立は、1999年(平成11年)の改正住基法をめぐり住基ネットのプライバシー侵害を懸念する声が高まり、改正法附則1条等で民間部門の個人情報保護も含めた法整備を約束したことに起因する(注14)。個人情報保護法を受けて行政機関個人情報保護法も改正された。
 個人情報保護法の第1章から4章までは同法の基本的性格を有しており、5章以下は民間部門の個人情報保護の一般法としての性格を有している。さらに、行政機関個人情報保護法は、個人情報保護法の下に位置づけられる(注14)。
 個人情報保護法は、プライバシー保護法制というよりは、個人識別情報を広く対象にしたデータ保護法としての性格を有しているといわれる。しかし、同法3条は、基本理念として「個人情報は、個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきものであることにかんがみ、その適正な取扱いが図られなければならない。」と規定しており、憲法13条やプライバシー権として判例・学説で認められた「自己情報コントロール権」が基礎に存していると解することができる。
A納税者番号制度と個人情報保護の問題としては、改正行政機関個人情報保護法が中心となるが、同法が納税者の権利保護法として十分な規定がなされているとはいえない。
 改正法は電算処理情報だけでなく手書の情報まで対象を拡大したこと(同法2条3項)や本人の情報訂正請求権を認めたこと(27条)、さらに、罰則規定を導入したこと(53条以下)など改善点はあるが、行政機関の個人情報保護について次のような問題点がある。
 ・個人情報保護法の民間の個人情報取扱事業者には、「偽りその他不正の手段により個人情報を取得してはならない。」(個人情報保護法17条)とされるが、行政機関については、公務員の法令遵守義務を理由に規定されなかった。
 ・改正前の行政機関には認められていなかった個人情報の利用目的の変更について、改正法では個人情報取扱事業者の場合と同じく、行政機関にも「利用目的を変更する場合には、変更前の利用目的と相当の関連性を有すると合理的に認められる範囲を超えて行ってはならない。」(行政機関個人情報保護法3条3項)として利用目的の変更ができるようになった。
 ・個人情報保護の救済法として、行政機関の処分に対する事後救済制度である不服申立て手続(同法42条)とは異なり、処分前の事前の救済制度として位置づけられる苦情処理制度については、改正前と同じ「 行政機関の長は、行政機関における個人情報の取扱いに関する苦情の適切かつ迅速な処理に努めなければならない。」(同法48条)という努力規定のままであり、苦情処理手続が第三者機関による救済手続きにはなっていない。これは、個人情報取扱事業者等に対する苦情処理手続にも当てはまる。
 ・外国の個人情報保護法やわが国の地方自治体の個人情報保護条例に比べ、「センシティブ情報」の収集制限規定(注16)がない。
 ・オンライン結合の制限についても規定されていないなど、ハッキング等セキュリティ保障上の問題がある。
 総務省は、2004年9月に「行政機関の保有する個人情報の適切な管理のための措置に関する指針について(通知)」を各省庁に出しているが、上記問題点については依然として懸念が残る。

4.むすびにかえて

 上述したように納税者番号制度には、導入コストの問題や納税者のプライバシー保護の問題など重要な問題が存している。税務に限定した納税者番号とはいえ、果たして導入すべき理由があるのか否か検証してみたい。

(1)金融所得課税の一体化は、現行税制で十分に対応できる。(注17)
 現在、金融機関で預金口座を開設する場合、本人確認制度が厳しく運用されており、一定額以上の預金引き出しに際しても運用されている。有価証券の譲渡益課税についても、2003年(平成15年)度から特定口座の開設時に本人確認制度が導入され、取引名義の真正さのマッチングは担保されている。
 有価証券の譲渡損益申告について、投資家は一般口座か特定口座か選択する仕組みになっており、一般の口座の場合、株式売買報告書で損益を把握し、有価証券譲渡所得内部で損益通算を行い(3年間の損失繰越制度がある)、比較的簡単に申告することができる。特定口座の利用者の場合には、源泉徴収制度による申告不要制度や譲渡損の繰越控除申告の選択制度で、その損益の正確性は担保されている。
 生命保険金の満期支払いについても、支払者からの法定調書で申告の要否が判定でき、課税庁もマッチングができている。
 預金利子所得や配当金の支払い受け取りについても、満期時の計算書等、配当支払調書等で所得額や源泉徴収税額が把握でき、金融所得内部での損益通算申告について特に支障があるとは思われない。
 現行法上、違法に所得申告をするものに対しても、法定調書等によりかなりの確率で所得補足が行われているとみることができる。納税者番号制度を導入して徴税コストの引き下げ効果を図るとする見解もあるが(注18)、人員削減等どの程度の効果があるのか理由付けが不明である。前述した導入コストやランニングコスト等の問題の方が大きく、あえて納税者番号制度を導入する理由は見当たらない。

(2)クロヨン(9:6:4)問題は、いわれるほど大きくはない。
 問題は、年金制度の一元化のために所得補足の正確性から納税者番号制度の導入を主張することである。本稿の目的ではないが、年金制度には種々の問題があり年金の一元化自体に是非論がある。
 かりに一元化を目指すとしても、クロヨン問題がいわれているほど大きな問題として存在しているとは思われない。
 納税者の税務申告の代理を行う税理士の立場から見ても、個人事業者の所得把握が不十分であるとはいえず、ほとんどの納税者は誠実に申告しているというのが実感である。最近において、課税庁がクロヨンを認めているという公式発表も存しないばかりか、また、クロヨンを問題にしているという報道も聞かない。
 納税者番号制度を導入することにより、より所得補足率を高めるということであれば、すべての消費者を含む経済取引者に番号を付与し管理する「取引監視社会」を想定しなければならない(注19)。日本がこのような監視社会になることを目指しているのかどうかは問われなければならない。
 クロヨン論議は、納税者番号制度の導入を企図する目的で寝た子を起こしたものと考えられる。また、そこには、消費税制にインボイス方式を導入する意図もうかがわれる。

(3)納税者権利保護制度の導入こそが必要である。
(注20)
 申告納税制度は、憲法に定められた国民主権の原理に沿うものである。すなわち、申告納税制度は、租税法律主義に基づいて、納税者自らが租税債務を確定する機能を認めた制度であり、納税者の自覚を通じて、国政に対する関心を高める民主的租税制度として尊重され、さらに維持発展させなければならない。
 申告納税制度にもとづく場合はもとより、税の賦課・徴収においては、納税者は誠実で正直であることが要求され、また、課税庁は、納税者が誠実で正直であるという前提に立って丁重な対応をすることにより、はじめて税務行政の執行が有効に機能する。
 したがって、納税者が、税務行政は公正、透明、民主的に行われていると確信し、課税庁と納税者の間に良好な関係が維持されていることが最も重要である。そのためには、税務行政に対する納税者の信頼の確保と、公正、透明で民主的な税務行政の運営を図るために、納税者の権利保護制度を確立する必要がある。
 諸外国では、租税国家としての租税負担率の上昇に伴い、国民に高負担を求めるためには、納税者の協力が不可欠との考えの下に、納税者憲章や納税者の権利宣言を制定するとともに、納税者の権利を明確に規定し、それを保護するための手続規定を整備して、課税庁と納税者の協力関係を深めようとしている。
 わが国においても、納税者の権利保護制度を導入することにより、税務行政に対する納税者の信頼を高めることが重要であり、これにより課税庁の税務行政の執行がより円滑になって、申告納税制度が一層有効に機能するように企図すべきである。納税者番号制度の導入を急ぐことは、納税者を監視することになるものであり、決して納税者の信頼を高めることにはならないだろう。


(注1)http://www.mof.go.jp/singikai/zeicho/top.htm
(注2)http://www.mof.go.jp/singikai/zeicho/top.htm
(注3)長谷川博「政府税制調査会答申と税務行政の課題」(「税制研究44号」2003年8月)
(注4)読売新聞(2004年12月1日)
(注5)クロヨン(9:6:4)は、所得税が国民各層の間で必ずしも公平に捕捉されていないと主張する立場から、サラリーマンは「9」割、自営業者は「6」割、農家は「4」割であるとする意味。ジャーナリステックな発祥といわれる。
(注6)益税問題は、消費税制の中、小規模企業に認められる簡易課税制度や免税制度の適用により原則計算した税額より納税額が少なくなるという不公平感についていわれる。
(注7)すべての国民に11桁の個人番号(住民票コード)を付与し、氏名、生年月日、性別、住所の4情報(およびこれらの変更情報)により本人確認を可能とする地方自治体のシステム。住基ネットと納税者番号制度については、前掲・税制研究44号参照。
(注8)石村耕治(「納税者番号制を導入すべきか」文藝春秋編・2005日本の論点293ページ)参照。
(注9)KSKシステムは、地域や税目を超えた情報の一元的な管理により、税務行政の根幹となる各種事務処理の高度化・効率化を図るために導入したコンピュータシステムである。また、KSKシステムは、政府が進めている電子政府の実現の一環である電子申告や電子納税等の税務行政のIT化に不可欠な情報通信基盤でもある。
(注10)財務省のアクションプランについては、
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/so140904a.htm参照。
(注11)1992年(平成4年)税調小委員会報告の中で、納税者番号制度のコストが試算されている。個人に対する番号付与コストとしては、初期費用として一千数百億円以上、経常費用として毎年数百億円以上が見込まれ、法人に対する番号コストも個人の場合より少ないものの相当程度の費用が必要とされている。http://www.h-hasegawa.net/hase4.htm参照。
(注12)過去の例からして、内部の情報を外に漏らす公務員は少なくないので、税務署の情報だけが堅く守られていて安全ということはない(浅井逸走・浅野宗玄著「Q&A住基ネットとプライバシー問題」123頁。本書は、住基ネットや納税者番号制度のメリットを強調している)。
(注13)前掲・税制研究44号参照。
(注14)民間部門の個人情報保護法制化の要因として、1995年に個人データ処理に係るEU指令が出され、加盟国は第三国が十分なレベルの保護措置を確保している場合に限って当該第三国に個人データを移転することができる、とされたことも挙げられる。なお、宇賀克也外編「対話で学ぶ行政法」(有斐閣)139頁参照。EU指令については、
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/doc/intnl/Direct-1995-EU.htm参照。
(注15)個人情報保護法第6条「政府は、国の行政機関について、その保有する個人情報の性質、当該個人情報を保有する目的等を勘案し、その保有する個人情報の適正な取扱いが確保されるよう法制上の措置その他必要な措置を講ずるものとする。」なお、2004年9月4日総務省「行政機関の保有する個人情報の適切な管理のための措置に関する指針」については、
 http://www.soumu.go.jp/gyoukan/kanri/040914_1.html参照。
(注16)EU指令8条1項「加盟国は、人種、民族、政治的見解、宗教、思想、信条、労働組合への加盟に関する情報を漏洩する個人データの処理、もしくは健康又は性生活に関するデータの処理を禁止するものとする。」、イギリスのデータ保護法、アメリカのプライバシー法、東京都個人情報保護条例、神奈川県個人情報保護条例など(前掲・宇賀克也外編「対話で学ぶ行政法」参照)。
(注17)東京税理士会2004年10月13日「金融所得課税の一体化のための選択性の番号制度導入に関する意見」参照。
(注18)森信茂樹(「納税者番号制を導入すべきか」文藝春秋編2005日本の論点289ページ)参照。
(注19)同旨、前掲・石村耕治(「納税者番号制を導入すべきか」)。なお、食肉牛に対し「個体識別番号」を付けて食の安全を確保することとは次元が違うと思われる。
(注20)納税者の権利保護制度の必要性について、詳しくは、前掲・税制研究44号や湖東京至編「世界の納税者権利憲章」(中小商工業研究所刊2002年)を参照されたい。

(はせがわ ひろし 朝日大学大学院法学研究科客員教授・税理士)