東京地方税理士会保土ヶ谷支部の佐藤千春税理士が支部会報に寄稿した随筆を本人の了承を得てここに紹介します。

                                                             平成14年10月29日

          楽園モルディブにて想ったこと
                                                               税理士 佐藤 千春
 今年8月、夏休みを利用してモルディブへ行って来た。モルディブといってもインド洋に散らばる1000以上の島々からなる、群島国家である。1965年に英国領から独立をしたイスラム教国家でもある。島々の土台は珊瑚礁でできており、上空から眺めると紺碧の海に浮かぶこれらの環礁は、インド洋の宝石といわれるように、言葉に言い尽くせないほどに美しい。
 モルディブではバカンスで外国から訪れる観光客の滞在するリゾート島と、現地の島民が住む島とはっきり分かれているそうである。島民のほとんどが敬虔なイスラム教信者であるモルディブでは、本来、言い方は悪いが、私欲を貪りにくるような観光客を、自分たちの住む島には入れたくないという気持ちが強いらしい。
 私はもちろん、そのような観光客の一人としてホテルの入っているリゾート島で滞在したわけであるが、ここで滞在中に印象的な二人の人物と知り合うこととなった。そのうちの一人はホテルスタッフのモルディブィアン(アリ)であり、もう一人はイギリスから会社退職後、バカンスに来ていた元銀行員(ジョン)というダイバー(スキューバーダイビング)である。今回はこの二人をとおして現地で、そして帰国後思ったことなどを少しばかり書かせていただくことに致します。
 アリは日本語が上手なので、たびたびおしゃべりするようになり、そのうちにいろいろとモルディブのことを教えてくれた。たとえば、モルディブ人はイスラム法により容易に結婚、離婚をすることができ、男性は同時に4人までの女性との結婚が認められているとのこと。あとで雑誌で確認してみると、確かにそうであり現在では2人の女性と結婚している男性が若干みられるにすぎないらしいが、女性の方も初婚年令は15歳前後がもっとも多く、女性の平均結婚回数は4回、平均出産数は6人と書いてある。しかしながら、モルディブではイスラム教の教えが浸透していて、家族や親戚の絆は強いそうである。
 ある日、レストランで食事中、アリが『子供はいますか?』と訪ねてきたので、あえて英語で『I don‘t know how to』と答えたら、これがバカ受けしてしまったようで、腹を抱えて笑われてしまった。英語で冗談が通じたことの驚きもつかの間、敬虔なイスラム教信者である彼が、私のもっていた先入観によるイスラム教信者とはちがって、このようなユーモアを解する笑顔の素敵な明るい青年であったことの方が、私にとっては以外であった。アリは、言った。『奥さんを大切にしてね。』心にぐさりと釘を打たれたような一言であった。イスラム教といえばあの9.11同時多発テロを思い出すのに難しくはないほど、またこの時の旅行を躊躇したほど旅行前の私にとっては、イメージ的に悪いものがあったが、彼の笑顔とその人柄はそれを払拭してくれた。
 一方、イギリス人ダイバーのジョンとはダイビングの話で盛り上がったのは言うまでもなく、私が持っていた海中用ビデオカメラに興味を持ち、帰国したらぜひ有料でいいのでビデオテープを送ってほしいと頼み込んできた。英語しか話さない彼との会話は必然的に私のかたこと、いや、ジェスチャーを交えた体感英語でのやりとりと相成った。バハマに勤め先があった15年ほど前にダイビングを覚えたという彼も、ダイビングは数年ぶりということで、我々夫婦ともどもチェックダイブを一緒にしたのがその縁の始まりであった。
 帰国後、ジョンとメールのやりとりをしていた日、ちょうどテレビで世界貿易センタービルに飛行機がつっこむシーンが放映されていた。例の9.11テロである。この日がそれから一年後の9.11であった。そこで彼にこの『民主主義的文明.善』対『テロ.悪』というアメリカのかかげる正義をどう考えるかメールで質問してみた。すると帰ってきたメールを辞書を懸命にめくりまくってわかった要旨は、民主主義的な文明すらも実はテロリズムから発生している。我々はアメリカの正義を信じる前に、もっとイスラム教の歴史や戦争の歴史を学ぶべきである、というようなことを書いてきたのであった。
 これには私も驚いた。彼はキリスト教を信仰しているのだろうか。このことは聞いてはいないが、アメリカとともに世界中に数々の植民地支配を行なってきたイギリスの人でもこのような客観的な見方をする人もいるということなのであろうか。その遠慮があってか言葉はすくなかったが、きっとアメリカがグローバリゼイションという名目で、自国の価値を世界に押しつけ敵対国の慣習、伝統、文化を破壊していることもある種のテロリズム的行為であることに気づいていたのではなかろうか。
 テロのあった場所を『グラウンド.ゼロ』と呼び(これは原爆投下を受けた広島、長崎で最初に使われた言葉らしい)、『開かれた社会への挑戦』とか、『自由と民主主義を守るために』とかのアメリカのプロパガンダとしてのキャッチフレーズを無批判に受け入れることには、私は疑問を抱かざるを得ない。
 大東亜戦争末期、日本と中立条約中のソ連に仲裁を求めるなど、追いつめられ既に戦意なき我が国の状況を熟知しながら、日本の諸都市へ無差別空爆を繰り返し、ついには広島、長崎へ原爆を投下し、それらにより90万人を超える一般市民を大虐殺したのはほんの50数年前のことである。私が小学生の頃、先生に日本はなんで原爆を落とされたのかと聞いてみたところ、日本軍が太平洋戦争で東南アジアで悪いことをしたからその罰を受けたんだ、仕方のないことだったんだみたいなことを言われた。
 終戦後、GHQは日本における軍事弱体化のため、神道指令を発し、憲法を与え、教育勅語を廃止させ、家族制度を破壊し、教育干渉、報道出版の徹底的検閲等、『自由』『平和』『民主主義』を唱えながら、数々の文化的な洗脳を日本に対して行ない、復讐的ともいえる東京裁判を行なうことにより、真正な歴史の抹殺まで徹底して行なったというのが、ジョンの言葉を借りれば、それが学ぶべき歴史というものではなかろうか。小学校の先生のように戦争の罪を軍部にだけ押しつけて、軍部に騙されていた国民が、アメリカによって自由と平和をもたらされたという単純な理屈で、ある意味自虐史観で戦争を考えることは、濡れ衣を着せられて東南アジアで処刑されていったB.C級戦犯や南方戦線で祖国のために若い命を捧げていった私の叔父たちの死を踏みにじることになるのではないだろうか。
 原爆投下は米軍の被害を避けるためのものではなく、戦後ソ連との勢力争いを有利に進めるため、またアングロサクソンからすればそれより下等な有色人種に新兵器の実験をするために行なわれたという見方をする向きもある。なぜドイツには投下されなかったのか。原爆投下は戦争犯罪ではなかったのか、テロ行為ではなかったのか、日本だけが満州やアジア・朝鮮には植民地支配で迷惑をかけた、悪いことをしたということで今後も謝罪や補償をしなければならないのか、単純な疑問はいくらでも沸いてくるが、逆に朝鮮の近代化に日韓併合時、日本がおこなった政策が少しでも貢献していないだろうか等の期待は、歴史を紐解いていくほどでてくるものである。
 実際、中立な歴史教科書によれば、日韓併合以前の朝鮮はたびたび大飢饉が襲い、どの道にも死体が転がっているという状態で、役人は農民を収奪して私腹を肥やし、汚職は横行、まともな裁判制度もなく量刑は賄賂次第という有様だったとのことである。日本は朝鮮総督府を置きこれを徹底して改善すべく、近代化の基礎として必要な人口調査、土地調査、治山治水、植林、灌漑、農地改良、小作制度の改善、教育の普及、ハングル文字の普及、司法の整備、医療の改善、鉄道の敷設、港湾の建設、各種工場の設備運営等、朝鮮民族とともに熱心に善政を施した。植民地支配と言われているが、日本の場合は欧米の洗練された合理的な植民地支配とは異なり、結局朝鮮に対するそれは投資の方が多く、赤字経営であったという。残念なことに、現在韓国における歴史教育においては、韓国がどのように近代化したのか、ということは正しく教えられていないらしい。それどころか徹底した反日教育がなされているという。
 確かに、GHQのウォー.ギルト.インフォメイション.プログラムや日米安保により日本は世界に誇る経済大国となり、世界でも有数の平和な国として発展してきたともいえよう。だがしかし、超軍事大国アメリカからすれば、日本などは『対テロ戦争支援国リスト』に数えられもしなかったという。私は決して大東亜戦争を肯定するつもりはないが、圧倒的な軍事力を楯に、対テロ戦争を正義にかかげるアメリカの中東戦略、世界戦略に対しても一定の批判精神を持つべきという側面もあると思われる。
 そうはいっても、結局のところは、日本は同盟国であるアメリカ側に加わっておくのが、政治的にも経済的にも安全保障上からも一番得で、そうせざるを得ないというのが現実なのであろう。いやそれどころか、湾岸戦争時のようにお金だけ出してあとはアメリカ様お願いします、などと戦後の占領政策による自虐史観に浸ったまま、のんきなことは言っていられまい。中東の石油をストップされれば多大な国益を損なう日本はお金だけではなく、自衛隊のイージス艦を派遣する等国家の存亡を懸け、世界秩序に血と汗でもって参加する態度を示さなければ、日本はもう国際安全保障の枠組みから外されることになるのだろう。
 いずれにせよ、モルディブで知り合ったアリやジョンに何かを教えられたような気がする。日本という島国から海外のイスラム教国へ旅をしたことが、アメリカの中東制圧問題については、ふと違った視野から眺めてみようとする機会を与えてくれた。
 唯一の儚い想いとして、アメリカが、アングロソクソンが、イスラム原理主義を目の敵にしようとも、私は心のどこかに、あのリゾート島で一日5回も島の真ん中にあるモスク(私も行って土下座してきた)にお祈りをしにいくというイスラム教信者のアリさんの澄んだ瞳をとどめておきたい。
 ほんとうは、もっとモルディブのすばらしさをお伝えしたかったが、少々脱線してしまったようである。滞在最後の夜、夜空には天の川が見えた。椰子の葉陰に見え隠れした南十字星は、第2次世界大戦敗戦国日本の民である私にも、同戦勝国イギリスの民ジョンさんにも、イスラム教国の民アリさんのもとにも、平等にその崇高な強い光を放っていた。